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忘れぬために 3.11 1個人の行動記録

 2年前の3月11日皆様は何をされていましたか?
 東日本で暮らしている皆様は何かしら
 体験したと思います、被災された方々に
 比べれば私が体験した事など取るに足らないもの
 なのかも知れませんが、忘れぬ為にも
 あの日私が体験した事をここに記す事にします

 長文駄文ですがどうぞ最後までお付き合いください 



 2年前の3月11日、14時に仕事は終わり池袋を目指していた
 遅い昼食になってしまったが翌日はOFF、大勝軒でつけ麺で
 も食べよう、そんな事を考えて山手線に乗り換え発車する
 のをまっていた時だった、14時46分それは発生した


 ■2013-01.22 公開 準備調達報告より抜粋

 JR新宿駅から放り出され最初に考えた事は
 家族は無事か友人は無事かと言う事であった
 幸い友人は震災下の携帯電話が通じない中
 辛うじてお互いの無事を確認する事ができた
 問題は家族だった、携帯電話は繋がらず
 駅前の公衆電話は100人以上の長蛇の列であり
 新宿の繁華街から離れて住宅地で見つけた公衆電話
 から電話をかけ何とか連絡が取れた有様であった
 その時も5人ほど並んでいたのだが…

 その日は偶然兄貴が家にいた、私の兄は職人であり
 兄の仕事仲間が揃うと家一軒余裕で作れてしまう程で
 ある、兄がいるのを確認し安堵した、正直に言って
 しまえば、家の事は何も心配いらないと思い後は
 どうやって自宅まで帰るかだけ考える事が出来たのだ

 ■ここまで

 

 ■補足
 地震の影響で運行中断した山手線の車内で
 しばらく待機していたのだが、線路の安全確認
 に長時間かかるのかアナウンスでホームで待機する
 ように促されホームに立っていたのだがそこに
 強力な余震が発生した、立っていることが難しく
 しゃがんで何とかバランスを取っていた、ホームの
 天井がギシギシと音をたて、女性の悲鳴が聞こえた
 
 ホームのアナウンスは最初「余震が発生しており
 頭上には注意してください」だったがそれが
 「大地震が発生しております、危険ですので余震が
 収まり次第駅から退去してください!」に変わった
 揺れとショックの影響なのか若い女性が倒れ担架で
 運ばれていくのを見た
 駅から放り出され西口のバスターミナルに出ると
 そこは人であふれていた、バスは運行停止しては
 いなかったようでバス停は長蛇の列、発車するバスは
 朝の通勤ラッシュよりも酷い混雑状況だった

 駅の改札口でJRの職員がメガホンで「避難場所は新宿
 中央公園です、都庁の方に向かって歩いてください」
 こうアナウンスする
 ■補足ここまで

 
 その指示に従い都庁の方に向かうのだがオフィスビル街の
 一角にフランチャイズの天ぷら屋を見かけた、もう池袋で
 つけ麺など言ってられずとりあえず昼食を済ませる事にした
 最初天丼とうどんのセットを頼んだのだが、地震でガスが
 止まってしまったのかうどんは作れないと言い出した、仕方
 なく天ぷら定職ご飯大盛りを頼む、食べれる時に食べておこう
 この判断は正しかったと今でも思っている

 食事を終え、喫煙所で一服済ませると新宿中央公園に
 向かった、過去エボルバで働いていた職場の近くだったので
 慣れた道のりだった
 公園について気がついたのだが、駅から追い出された人たちが
 それなりにいるだけで東京都の職員は誰もいない、そして
 焚き火の一つもなかった、夏場だったら問題なかったのだが
 3月の風はまだ冷たい、しばらく公園で途方に暮れた後また
 新宿駅に向かって歩き出す人たちを何人も見た
 
 どうしようか考えていた私は何度か新宿駅と公園の間を
 行き来し、街並みを眺めていた、行く場所のない人々が
 西口ロータリーで立ち尽くし、西口の量販店や飲食店は
 次々と閉店準備を始めていた

 時々携帯の地震速報の不気味なアラームが鳴り響き10秒程
 すると余震を感じる状況が続く、電車は何時までも動き出す
 気配がなく、都営地下鉄大江戸線都庁前駅のカウンターで
 都営バスの路線案内を渡された、バスを乗り継ぎ多少歩けば
 JR中央線荻窪駅まで到着できると判断した
 夜の帳が訪れようとしていた17時、私は歩いて帰る判断を下した

 都営地下鉄のカウンターで貰った都営バスの路線図に
 国道20号を通るバスを利用すれば練馬区の方まで出れる
 ことが解った、まずはこのバスに乗り移動するか
 そう思い国道20号に向かいそこで自分の考えが
 甘かった事を悟った

 国道、他バス通り、どれも酷い渋滞で車が全く進んで
 いなかった、そして渋滞にまかれ動かなくなっている
 バスを見ればどのバスも満員、そしてバス停には長蛇の列
 ここでバスを待つのは無駄だと悟った

 やむを得ず、国道20号から青梅街道を目指し移動開始
 裏路地や地下鉄駅の商店街などを抜け歩き続けたが
 車だったら大して気にもならない距離だが歩くととても
 遠くに感じた、途中見かけたコンビニでタバコの購入と
 トイレを借りようと思ったのだが、新宿駅から離れた
 小さな商店街のコンビニは客だらけで女子トイレは
 長蛇の列が出来ていた、ここでも人尽くしだ、多分私のように
 歩いて帰ろうと思った人達なのだろう

 国道20号から青梅街道に出るバス通りを歩く、同じように
 歩き続ける人が多数、途中バスが通り過ぎていくのを見る
 中野駅行だがこの際乗ってしまった方がいいのだろうかと
 思うが、その乗車率とバス停の列を見るたびため息しか出ない
 結局1時間以上歩き続け何とか青梅街道まで
 到着したのだが、中野駅の方まで来てしまっていた
 どれだけ裏道を遠回りしたのかと自分に呆れてしまった
 青梅街道が見えるところまで着てその光景に驚く
 
 青梅街道の歩道は人で溢れていた
 彼らはみんな歩いて帰る人達だ
 歩いて東京郊外に向かう人の河の流れにのり
 荻窪方向に向かって歩く
 先も後ろも人だらけ、中には会社にある防災品なのか
 ヘルメットを被ったサラリーマンも何人もいた
 途中にある丸の内線の地下鉄の駅入り口は封鎖されており
 多くの人が駅構内入り口に座り込んでいた

 この頃ぐらいから腰が痛くなり始め、歩いては休憩
 歩いては休憩するといった状態になっていた
 仕事で体力を消費していた上に新宿駅と新宿中央公園
 を何度か往復し、国道20号から裏道づいたに青梅街道を
 目指して歩いたためか無駄に遠回りしたのが効きはじめた
 ようだ
 
 19時過ぎに携帯電話の電池が切れる
 情報集めにインターネットなどを利用し続けた結果だった
 いくら携帯電話が繋がらない状況だったとしても電池を
 少しでも温存していれば、失敗である

 因みに携帯充電器を購入にフル充電しバックに入れて置く
 ようになったのはつい最近の話だ 

 青梅街道に出てからの話だが、コンビニの前を通り過ぎる
 時、スーツ姿の男たちが缶ビールと夕食の弁当、それに
 つまみが入ったビニール袋を大量に下げ意気揚々と出て
 行く姿を何度となく見た、帰れないなら酒盛りでも、そう
 言った感じなのだろうか、中にはビールケースを担いで
 いる人も見かけた、たくましいものだ

 街道沿いの飲食店は何所も満員だった
 青梅街道も他の幹線道路と同様酷い渋滞だった
 電光掲示板には『荻窪120分以上』と表示されていた
 普段なら車だったら5分で行く距離だった

 車の間を自転車が軽快に通り過ぎていく
 正直とても危なく感じた、あの日車と自転車の
 交通事故は結構発生したのではないだろうか
 そして事故が起きても救急車は現場に到着できたの
 だろうか?
 ピクリとも動かない渋滞と対照的にガラガラな
 対向車線を救急車が逆送していくのを何度も
 見たので多分到着しているのであろうが
 今でもあの時の事を思い出すと事故発生件数
 などが気になってしまう

 時刻は21時を過ぎ高円寺前を通過、地元の
 区議会議員が事務所を休憩所として利用して
 くださいとメガホンでアナウンスしていた
 この時腰の痛みはかなりの物で歩くのがやっと
 な状況だった、荻窪陸橋手前のコンビニで30分以上
 休憩を取る、何とか荻窪まで到着すると時間は22時を
 過ぎていた、後で知った話だが、この時地下鉄は
 運行を再開していた…
 
 荻窪から私の地元に向かうバスが出ているので
 それに乗ろうと決めた、相変わらず渋滞は酷いが少しは
 流れ始めていた、歩道を歩く人も若干少なく感じた
 30分待つ、地元の最寄り駅の隣の駅行のバスが来る
 30分待つ、また最寄り駅の隣駅行のバスが来る
 私の地元の最寄り駅を通過するバスが何時までたっても
 来ない、それなりに休憩したせいか腰の痛みは少し
 楽になっていた、この際隣の駅から歩くか、そんな心境に
 なっていた、それから30分後隣の駅行のバスが到着
 始発だったのが救いか座る事が出来た

 1時間ほどでそのバスの終点である地元の最寄り駅の
 隣駅に到着した、渋滞にはあまり嵌らなかった
 途中井荻駅を通過する時、踏み切りで通り過ぎる
 電車を見て歩いて帰る判断を下したのは誤りであった
 事を悟った、私は実に馬鹿だった

 隣駅から最後の一踏ん張りと歩く
 地元のバス通りも渋滞していた、どれぐらい渋滞し
 たかと言えば、1時間で100mも進まない程だった
 主要道路はある程度流れ初めていたのだが
 地元のバス通りなどの渋滞はまだ解消に向かって
 いなかったようだ
 
 
 アパートの様子
 110312_021926.jpg
 
 PCが無事だったのは救いだった…


 0時40分実家に到着した
 新宿を出てから実に7時間40分も掛かっての
 到着だった

 実家はいつもと変わらぬ状態であったが
 震災発生直後は滅茶苦茶になっていたらしい
 兄貴が実家にいたのもあってか復旧はそれなり
 のペースで進み私が到着した頃には片づけが
 終わっていたとの事だった

 15時過ぎに昼食をしっかり取っていたので
 空腹で辛い思いをする事はなかったがとても
 遅い夕飯を取った
 
 腰の痛みが酷いので湿布を貰い貼り付けた
 無駄に遠回りしたのも原因だが無駄に付いた
 贅肉と運動不足、それに作業着が入ったバッグ
 を背負っていた事などが原因だった
 
 この腰の痛みは1週間ほど続く事になるのだが
 今思い出しても情けない話である…

 家族とお互いの無事を確認し
 当時暮らしていたアパートに
 帰ったのだが、アパートの中は
 滅茶苦茶だった疲れきっていた
 私は布団の周りを片付け割れた 
 食器類の片付けだけするとPCを
 つけたまま眠りについてしまった

 アパートの様子2 
 110312_021955.jpg
 食器類などほぼ全てが割れてしまった…

 あの日路線バスは24時間運行を行い
 多くの人々を運び続け、都民から感謝
 された、それは地震発生直後に乗客を
 駅から放逐しついには翌日まで運転再開を
 行わなかったJRとは真逆の対応だった

 因みに私鉄と地下鉄は22時過ぎには
 運転を再開していたそうだ 

 後日仕事のお客さんと震災の話をした時
 有楽町から十条まで車で4時間かかっただの
 いろいろな話を聞いた、多分都心中どこも
 私が体験した状況だったのだろう

 幹線道路の歩道を埋め尽くした帰宅歩行者
 の列、人でごった返した新宿西口ロータリー
 路地裏の商店街のコンビニのトイレ行列
 あの光景を私は忘れる事はないだろう
 
 全て被災地からそれなりに離れた東京で
 起きた私が目撃した出来事である
 もし東京で直下型地震が発生したら…
 行政には少しでも対策と準備を
 進めて欲しいものである


 3.11東日本大震災で被災された方々が
 一日も早いく元の生活に戻れるようお祈り
 します、2年経過した今でも避難先から戻る
 この出来ない方々も多いと聞きますしね…

 3.11東日本大震災で亡くなられた方々の
 ご冥福をお祈りします
 
 
 
 
 


 地元石巻が選挙区で被災した地元のために奔走した
 衆議院議員 小野寺五典氏(現:防衛大臣)の証言









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